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 ナウシカになりたい。

 笑っちゃうけど、ちっちゃい頃からそう思ってた。映画の中で、小さなオウムが塩海に入ろうとするのを、ナウシカが「来ちゃだめー」ってけがした足を塩海に浸しながらも必死に止める場面がある。そのナウシカがわたしで、わたしが小さなオウムを必死に止める夢を今まで数えられないくらい見た。

 こないだ(って言っても結構前だけど)、漫画の「風の谷のナウシカ」を読んだ。前に先輩の家で麻雀をやりつつ必死に読んだことがあったけど、もちろん麻雀をやりつつ、ナウシカが理解しきれるはずはなく、おまけに読み終わらなかった。(麻雀も負けた。)今回は、お母さんが図書館で借りてきた。厚い、ナウシカの本にふさわしい装丁。それで2回も読み直して、やっと理解できた。宮崎駿ってほんとにすごい。そして、悟った。
 
 わたしナウシカにはなれない。




 漫画の中でナウシカは言う。
 「私たちはなんて沢山のことを学ばなければならないのだろう。」

 地球は、限りない人間の欲望によって滅びかかっている。それなのに、そんな中で繰り返され続ける戦争。その行為が、自分達の首を締め上げていくことに気づいていても止まらない戦争に、人間のエゴが浮き彫りになる。

 そして、ラストは、ナウシカと“墓所の主”との激しい対話。この墓所の主は、人類が地球が浄化しきった後の為に作った、新しい人類の種なのだけれど、それは本来の人間ではない。(なんだかこのへんは説明が難しいので、ぜひ読んでください)

 ナウシカは言う。
 「その人たちはなぜ気づかなかったのだろう。
  清浄と汚濁こそ 生命だとういうのに
  苦しみや悲劇や愚かさは
  清浄な世界でもなくなりはしない
  それは人間の一部だから
  だからこそ
  苦界にあっても
  喜びやかがやきもまたあるのに。」

 ナウシカがすごいところ(宮崎駿のすごいところかな)、それは完全な善と悪の区別をつけないところだと思う。善の中にも悪はあるし、悪の中にも善の部分はある。善か悪かを裁くことは、簡単だけれど、ナウシカはそうしない。

 世界の美しさも残酷さも許容し、そして内包している。

 そして、もう一つすごいところ。それは、下の言葉からわかる。

 「私たちは 血を吐きつつ
  くり返し くり返し
  その朝をこえて 飛ぶ鳥だ!
  生きることは変わることだ。」

 「生きることは変わること。」この言葉を頭で理解するだけなら簡単だけれど、体でそれを体現するのは難しい。でも、変わろうという強い想いがあれば、人は何にでもなれるし、何でもできるのかもしれない。そこが、人間の希望なのではないか、と思う。


 6月の終わりかな。ナウシカの言ってることに繋がるTV番組を見た。「ジュラシック・コード」という番組。

 人間の脳の奥深くには、本能が支配する「爬虫類時代の脳=爬虫類脳」がある。爬虫類脳の旺盛な欲望がなければ、人間は豊かな世界を手に出来なかった。その抑えられない欲望から、ルネサンスや産業革命等の進歩をもたらしたし、反面、度重なる戦争や地球環境の悪化も、爬虫類脳から発せられる人間の欲望が原因なのだそうだ。

 自分の脳の中には原始の時代から残る爬虫類脳が残っている事を自覚し、爬虫類脳とうまく付き合っていく事が大切だ、と番組では言っていた。

 欲望を理解すること、そしてバランスをとること。当たり前のようですごく難しいな。
 
 

 わたしは、ずっとナウシカの強さに憧れてた。だけど、彼女は強さと儚さをあわせ持っているから惹かれるんだ。それは、人間が強くて、また同時にとても弱いことを知っているから。きれいな部分も汚い部分も理解しようとするから。
   
 あー、やっぱりわたしナウシカを目指して頑張ります。笑。



 最近、妹が気まぐれで図書館から借りてきた『アバウト・ア・ボーイ』って本を、同じく気まぐれに読んでみた。(映画にもなったからみんな知ってるかなぁ。主演はヒュー・グラント。てか、彼かっこよすぎだよねぇ。)わたしはめったに外国人作家の小説なんて読まないから(メキシコに行ったときに相方が持ってた小説を読んだきり!)なんだかすごく新鮮だった。



 本で読むより映画で見たい内容だなぁって終始思いながら読んでたけど、ピンと来ることばに出会った。予想してなかったとこで、出会うべきものに会える喜びって格別。 
 まさしく、中島みゆきの『逢うべき糸に 出逢えることを 人は仕合わせと呼びます』って感じだった。(「糸」より。)
 

 今日はそんな仕合わせをくれたことばをふたつ。

 『ポイントは、あなたが前に進みつづけてるってこと。そうしたがってるってこと。あなたをそうさせてるものすべてが、ポイントなの。あなた自身は気づいてないかもしれないけど、でも、心のなかじゃこっそり、人生も悪くないな、って思ってるでしょ?あなたには愛してるものがあるの。』

 これは、仕事もなく、だからと言って働く気もなく、亡くなった父が作曲したクリスマスソングの印税で悠々自適に過ごしてる36歳のウィルに向かって、彼が生まれて初めて恋に落ちたレイチェルが言った言葉。

 なんだか、すごく共感してしまった。人生って案外そういうものなのかもしれない。ウィルの愛してるものは、テレビ、音楽、食べもの、女性、セックス…。そういうものたちは、一見くだらない。でも、それらが、人を幸せにしたり、前へ進ませたりする。わたしは、夜寝る前に、このBLOGを書いたり、本を読んだりした後、あったかい紅茶を入れて飲む瞬間がすごく幸せ。そして、その紅茶を飲んだ後のベランダの一服も。でも、ふとそういう小さな幸せを感じられるわたしってほんとに幸せだなぁって思う瞬間がある。その先に、すごく大事なことがつながってる気もする。そういった毎日のつながりの中で何かが生まれる時がある。


 そのいくつかの会話の後に、レイチェルがウィルに告白する。何年も前だけど、ほんとにほんとに落ち込んで、自殺したいと思っていた時があったこと。そして、次のセリフを言うのだ。

 『でも……とにかくいつだって、今日はダメ、って感じだったの。明日はわからないけど、今日はやっちゃダメ。そうやって数週間すぎたら、そんな事は絶対にやらないだろうってわかった。だって、ほかにやりたいことがあったんだもん。人生は最高って感じじゃなかったし、進んでそこに参加したいって感じでもなかった。だけどね、いつだって必ず、ひとつかふたつ、やり残したことがあるって気分だった。それをやっておかなきゃ、って。(途中略)本の仕事を終えたばかりだとしたら、実際に出版されるのを見とどけたかった。男の人とつきあってるんだったら、もう一度だけデートしたかった。(途中略)そんな、ささいなこと。でも、いつだって、何かがあったんだよね。そして最後には、いつだって、どんなときだって、必ず何かがあるんだってことに気づいたの。それだけで充分なんだ、って』

 わたしはこの言葉の意味がものすごくわかる。だって、わたしもそうだった。死にたいって思いながらも、やり残したこと、やりたいことがいっつもどっかに引っかかってた。わたしの場合、友だちが貸してくれた本を読み終わってなかったり、誘われた花火大会の予定があったり、毎晩友だちが心配して送ってくれるメールに返信しなきゃいけなかったり、わたしにもまだ何か可能性が残ってるんじゃないかって信じてみたり・・・。

 気分の浮き沈みはすごく沢山あったけど、そんなことは、寝れない夜にいっつも考えてた。そして、気づいたことは、レイチェルと一緒だった。

 「いつだって、どんなときだって、必ず何かがあること」

 それは、ほんとに幸せなことだ。

 だから、わたしは夢が見つかった。自分ができること、やりたいことがだんだんと見えてきた。色んな人と会った。友だちもさらに増えた。いっぱい刺激をもらった。



 今週の水曜日、一番行きたい会社の最終面談がある。毎日、今までの経験や、そこから考えてきたこと、叶えたいと思っていたことをノートに書き出したりしている。色んなことを思い出す。夢がふくらむ。


 今まで少しずつでも前に進み続けてきたことが、ひとつの線に繋がればいいと思う。

 就職活動ラスト1社、わたしを今まで前に進み続けさせてくれた沢山の「ポイント」を振り返ってみようと思う。それを、わたしらしく素直な言葉で伝えてきます。



 本をただ読んで終わらせるのではなく、共感できるところを書き出して自分の経験と重ね合わせてみたり、逆に反発するところを書き出して「なんでわたしはここに違和感を感じるのかな?」って考えたり、疑問に思ったところを書き出してさらに調べたりしながら、本を読むようになったのはいつからだろう。もちろんすべての本にこうするわけじゃなく、小説を読むときはひたすら本の世界に浸る。(すごく心に染みるフレーズがあったら書き出すようにしているけど。)でも、ノンフィクションとかエッセーを読むときは、いつもこんな読み方をしている。

 たぶん、こんな読み方を始めたのは、自分探しに必死で、自分ができることと自分の視野を広げることに切羽詰まっていた時だったと思う。フィリピンのゴミ捨て場で生きる家族を撮ったドキュメンタリー映画を見た直後。なんとか多くのものを吸収して早く成長しなきゃって本気で焦っていた頃。

 こないだのBLOGで友だちに誕生日プレゼントとして贈ったと書いた、田口ランディの「ハーモニーの幸せ」を今日改めて読んだ。この本は、もう何度目か忘れてしまうくらい、何度も何度も読んでる。でも、読む度にこころが洗われる。心が共感するところは、その時々によって違う。わたしの置かれてる環境とか、精神的な状態とか…。今の“わたし”のこころが反応したことば。

 『目を開けると、月のない空に満天の星。
  この世界は無尽蔵にギフトが溢れかえっている。なんで自分だけ
  貰えないと思っていたんだろう。くださいと手を出さないから、貰い
  そびれていたのかもしれない。』

 バリではお祈りのときに、小さな供物のカゴに入った花や草を両手にもって、高く掲げるそうだ。それは、捧げると同時に神様から受け取ることでもあるという。

 この祈りはとてもすてきだと思った。いつも一方だけを捉えてしまうと、自分が損をしたような気持ちになったり、盲目的になってしまったりする。捧げることと受け取ること。このバランスはとても心地よい法則だ。この法則は色んなところに当てはまる。今、わたし達が悩んでる就活にも。そして、恋愛にも、友情にも。きっと人生全部に当てはまるんだろうな。

 それと同時に、感受性のアンテナを研ぎ澄ませておくことと、自ら足を動かすことの大切さを実感した。そうしないと、この法則が成り立たない。世界に溢れているギフトから、自分の糧になるものを見つけ出そうとする努力もきっとすごく大切だ。
 

 「くださいと手を差し出すこと」

 これは、きっと簡単なようで、なかなか難しい。わたしの本の読み方がちょっとはこれにつながってればいいなって思う。本の中にもわたしのためのギフトが溢れてる。それを見逃さないようにすること。そして、贅沢を言えば、そのギフトを、このブログとか普段の会話とかで、みんなに少しでも捧げられたらいいな。

 今日捧ぐことば。
 『問うこと、問いつづけること、たくさんの問いを抱え込むこと。それが
  人が生きていくうえの基本だと私は思う。百の答を持つことよりも、
  ひとつの問いを持つことのほうがずっと大事だ。』
      昨日読み終わった、吉岡忍の「放熱の行方」より。

 「わたしの夢はなんだろう?」「わたしに向いてることはなんだろう?」「わたしが本当にやりたいことはなんだろう?」って、今、いっぱい悩んでるみんなへ。

 こうやって問い続けることが今のわたし達のこれからの未来に繋がってる。だから、いっぱい悩んで、いっぱい問い続けて、前向いて、生きていこうね。それで、考えすぎて疲れたら、連絡してね。



『落ちこんでなんかいないのなら、それはそれでいい。
 落ちこんでいないなんてただの錯覚だと思うけどな。
 よく見れば、ぼくらの空元気の下には
 必ずといっていいほど悲しい酸性の水が流れていて、
 空元気の空の程度に比例して、
 酸性度を濃くしていくようなものなのだ。
 ひどくなると、
 あなたがあなたの顔の肉を満開のガザニアのように笑わせているその最中に、
 肉の下の酸性の液が、
 あなたの心を酢漬けにして、
 再生不可能なほど固めてしまう。
 心が小石になる。
 そうなる前に、チリ・フラミンゴを見せてあげたいな。』
           辺見庸「ホットケーキ」より。
 

 あいかわらず忙しい毎日だけど、電車の移動時間に本を読むのだけはやめられなくて、でも、その時間がわたしを潤してくれてる部分はすごく大きい。

 昨日読み終わった本は、辺見庸の「ゆで卵」。すごく不思議な短編集。

 裏に書いてあった「食物からはじまる男と女の、そぞろ哀しく、妖しい出逢いとエロスを描いた傑作小説21篇」ってことばに惹かれて買ったんだけど、ほんとにおもしろかった。読んでいるとふっと肩の力が抜けるような要素がたくさんつまってて、エロスなんだけど、ただのエロスじゃない。人間ってつくづくおもしろい生き物だなって思う。

 作者の辺見庸さんが自作の解説に書いている。
 「これを読んで、突然に愛国者になったり、勉学に感奮興起したり、明日からの仕事に意欲を燃やす読者などまずいまい。むしろ、明日はぷいっと休みをとるなりして、朝寝でもきめこみたくなるのではないか。もしくは休職したくなるとか、休学したくなるとか、家出したくなるとか……。そうだといいな、と私は思う。」


 そんなこんなで、影響されたのか、ここ数日エントリーシートの山に埋もれて睡眠不足だったせいかどうか知らないけど、わたしは今日昼間ずっと寝てみた。世間はバレンタインだってのにこんな過ごし方をしたわたしも悲しいけど、たまにはこんな日もありだと思う。

 なぜか夢をたくさん見た。

 夢の中の自分は、ほんとに自分勝手で、急に泣くし、怒るし、大笑いもする。出てくるのも、友だちから芸能人から架空の人までてんやわんだの人間関係で、起きたら、見てた夢があほくさくてちょっと笑えた。

 夢の中では「こうするべきだ」とか「これはやっちゃいけない」とか「ありえない」とか、そういう常識みたいのが一切なくて、自分の感情に素直に、大騒ぎしている。だけど、わたしは現実世界で色んなものに囚われてるんだなってことに気づいて、はっとした。

 現実のわたし達は常識だけじゃなく、時間とか、人間関係とか、色んなものに囚われていて、冒頭の文にあるみたいに、自分の感情を隠して空元気を装ってみたりする。

 でも、それが生きる術で、そうしないと逆にこころが溶けちゃうこともある。こころが小石になるのもいやだけど、こころが溶けるのもいやだな。うーん、難しい。

 就活をしていると、将来の自分にすごく不安になったり、自信がなくなって急に自分がいやになったり、寂しくなったり、気分の浮き沈みが激しい。

 だけど思うことは、その時その時に、大切だと思っていることをちゃんと守っていきたいということ。

 それはどんどん変わっていくかもしれないけど、その大切なものには素直な気持ちでいよう。



 ぱさぱさに乾いてゆく心を
 ひとのせいにはするな
 みずから水やりを怠っておいて

 気難しくなってきたのを
 友人のせいにはするな
 しなやかさを失ったのはどちらなのか

 苛立つのを
 近親のせいにはするな
 なにもかも下手だったのはわたくし

 初心消えかかるのを
 暮らしのせいにはするな
 そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 駄目なことの一切を
 時代のせいにはするな
 わずかに光る尊厳の放棄

 自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ


 
 久しぶりに帰った鹿児島のおばあちゃんち。そして、わたし達が泊まることになったおばさんの部屋の壁一面の本棚から、茨木のりこの本を見つけた。タイトルは「自分の感受性くらい」。どこかで聞いたことがあるような気がする。何かすごく惹きつけられるのを感じた。そして、そのタイトルと一緒のこの詩が、上に書いた「自分の感受性くらい」。

 やはり、読んだことのある詩だ。でも、ずいぶん前に出会ったような気がする。最後の部分は、ちゃんと覚えていた。
「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」
そのときも、きっとすごくわたしの心をついてきたのだろう。今回もそうだった。

 この詩を読み終わったとき、自分の胸に何かがみなぎってくるのを感じた。すごく熱いもの。それは、これからの試練に対する熱い思いのようなものでもある。夢の再確認とも言えるかもしれない。やっぱりわたしは夢を叶えたい、強くそう思った。

 そして、もう一つ。感受性を守らなきゃ、大切にしなきゃという思い。感受性という言葉がわたしはとても好きだ。

 感受性。外界から受ける刺激や印象によって心に感動をよびさますことのできる性質や能力。

 前にも書いたかもしれないが、にいちゃんに「あすかは感受性が強いのがいいところだよ」と言われたことがある。これを言われたときはうれしかった。今までで生きてきた中で最高のほめ言葉かもしれない。

 それを守ることは、わたしの生命線とも言える気がする。感受性を大切に、そして、その感じたものから、何を人に伝えることができるか。これから生きていく中で、それはきっとすごく大事になるだろうし、そんな仕事がしたい。

 それを再認識した、鹿児島での一日目。やっぱり、鹿児島に行ってよかった。 



 「聡美の淹れてくれたコーヒーをひと口味わうと、無性に煙草が欲しくなった。それぞれに紫煙をくゆらせている姉妹に、一本ねだって火を点けた。私たちは仲良く三本の煙突になった。」

 今日、バイト中に読んで、読み終わった宮部みゆきの「誰か」から。このフレーズを読んで、すごくいいなぁと思った。「無性に煙草が欲しくなる気持ち」はものすごくよくわかる。いつもぷかぷか吸っているわたしだけど、いつも無意味に吸っているわけではなく、あー今たばこを吸ったら絶対おいしい!という瞬間がたまにある。そして、そうゆう時のたばこはほんと格別にうまい。わたしはたばこは精神安定剤ってゆう話をよくするけど、この無償にたばこが欲しくなるときは、たばこは精神安定剤の役割ではなくて、静かに喜びやあたたかい気持ちを心に浸透させる役割になる。その煙はとてもうまくわたしの中に広がっていって、自分の気持ちが体にきちんと順応していくのがわかる。

 そして、煙突という表現もとてもうまいなぁと思う。
 煙突=煙を外に導くために設けた長い筒。
そう、たばこを吸いっぱなしではなく、煙を吐くことによって体の外に出される。煙を吐くということを強く意識すると、自分の中に残るものと、残らないで外に吐いて捨ててしまうものということについて考える。つまり、わたしは、たばこを吸って吐いている間に自分の中で何かを整理していることがある。


 まぁ、ノンスモーカーは、こいつ何言ってんだ。おまえは毒吸ってんだよと思うだろう。確かに、わたしは、毒をいっぱい吸っていて、残していて、体に蓄積している。それはよく自覚している。でも、今は毒より心の整理の方がわたしにとっては大事なのだ。なんか自分で言ってて笑えてきた。でも、たばこをやめなよという人には、こんな気持ちも少しはわかってもらいたいなぁって思いがある。


 もうすぐ21歳。今のわたしの必需品。たばこ。


 でも、たばこなしでも、精神を安定させたり、気持ちを整理できるようなおとなになれたらいい。



 「一度出会ったら、人は人をうしなわない」

 わたしがとても救われたことば。大好きな江國香織の「神様のボート」の中の一説だ。旅の間、涼むために入ったタイ・バンコクの紀伊国屋の本屋で、夢中でこの本を立ち読みしていて、このフレーズを読んだ瞬間、こころの傷がすーって癒されていくのがわかった。

 人が人を失うということ。つまり、記憶から忘れ去られてしまうこと。なかったことになってしまうこと。世の中でこわいこと悲しいことはたくさんあるけれど、わたしが特におそれてることの一つが、自分が忘れ去られて、なかったことになってしまうことだ。そして、その恐怖を、静かに和らげてくれたのが、このことばだった。なんだか、色んな思いがこみ上げてきて、このフレーズを読んだあとはしばらくぼんやりしてしまった。わたしの旅ノートには、そのことばが走り書きされていた。このことばに出会えたことがよっぽどうれしかったんだと思う。

 わたしは、卒業アルバムを6冊持っている。幼稚園1冊。小学校2冊。中学校2冊。高校1冊。でも、小学校の1冊と中学校の1冊には、わたしの個人写真がない。途中で引っ越したからだ。小学校6年の5月。中学校2年の夏。個人写真の写っていないわたしは、みんなの心にどれくらい残っているだろうか?まったく消えてしまってるのかな。わたしは確かにいたのに。そこで生活していたのに。集合写真や、スナップ写真で写っているわたしを見つけるとちょっと安心する。でも、その数はとても限られていて、わたしでさえ見つけるのが大変なのにみんなは気づいてくれるのだろうか。

 転校生というのは悲しいもので(わたしだけかもしれないけど)、普通に生活している人より、思い出というものを、宝石箱に宝石を入れように、すごく大切にする癖がある。新しい学校でなじめなくてさみしい間、その宝箱をそっとのぞいて、自分がしあわせだったこと、そして、そのしあわせがここでもやってくるだろうことを思い込むため。そして、強くなるため。特に、中学校の転校のときはそうだった。

 ここで、人に初めて告白するけど、中学で転校したばかりの時、転校生のわたしは部活でいやがらせを受けていた。明るいのが取り柄で、友だちと騒いでいるのが大好きで、学級委員とかを引き受けたりして、それでもって負けず嫌いだったわたしには、それがほんとにほんとに屈辱だった。ひとりで必死に戦っていた。負けるのはいやだったから。負けたらそれは「いじめ」というものになるんだろうと思った。自分がいじめを受けているなんて考えるだけで、吐き気がした。だから、毎日が戦いだった。

 そんなとき、よく前の学校を思った。ほんとに楽しかった。あそこには友だちがいる。仲間がいっぱいいる。だからわたしは大丈夫。頑張らなきゃ。

 でも、時々すごくこわくなるのだ。みんながわたしを忘れていたら、そしたらわたしはどうなるのだろう。そう考えて、よく夜泣いた気がする。

 そんな戦いもすぐおさまって、わたしはここにもなじんだけど(前の学校のように完璧にはなじめなかったけど)、でも、やっぱり人から忘れ去られる恐怖はずっと持ち続けていた。わたしだけ一方的に覚えているなんてそんな悲しいことはない。それなら、両方忘れてしまったほうがまだましじゃないか。でも、わすれられないのだ。

 恋もそうだ。あんなにすきだったのに、いつのまにか終わってしまった。ほんとにすきだったのに。わたしだけ、あのときの気持ちを覚えていて、あの人はわたしをすきだった気持ちは忘れてしまうんじゃないか。そしたら、あの期間はなんだったんだろう?わたしの気持ちはどこにいけばいいんだろう。でも、わたしにとっては大切な思い出だと思う。それが悲しい。すごく悲しい。

 
 そんな気持ちをすーっと取り去って、わたしのこころを包んでくれたこのことば。今日バイト中にこの本を改めて読んでいて、このフレーズを見つけたら、初めて出会ったときと同じようにこころが洗われた。

 そして、もうひとつのことばを思い出した。

 「5年ぶりに会ったのに、昨日別れたばっかくらいの勢いだな。」

 成人式のときに帰った仙台で友達がさりげなく言ってくれたことばだ。やっぱりわたしは、成人式は今の中学じゃなく、前の中学のみんなに会いたくて、みんながどんな反応してくれるのかすごく怖かったけど、でも、わたしはすてきなことばに出会った。だいじょうぶ。そのことばを飲み込んで、仙台に行ったのだ。そしたら、友だちが笑いながらこう言った。

 人っていいなぁ。こうゆうのを幸せっていうんだなぁと思った。そして、やっぱり人は人をうしなわないんだって、強く実感した。ほんとに強く。だから、もうそんな恐怖は感じなくていいんだって。

 それで、わたしは前よりちょっと強くなれた。そして、このことばをかみしめると自分が少しやさしくなれる気もする。

 
 一度出会ったら、人は人をうしなわない



 今日電車の中で友だちから借りた本に没頭していたら、ひとつ先の駅まで行ってしまった。そしたらなんと上りの電車が来るまでの時間が30分…。しかも、酔っ払ったおじさんが「モーニンッモーニンッ!!」とずっと絡んできて本当に困った。でも、途中この面倒くさいおじさんを忘れてしまう程、この本はおもしろかった。題名は「司馬遼太郎の日本史探訪」。ちょうどさっき読み終わったところだ。

 日本史の中の有名人や大事件について、司馬遼太郎が語り尽くすという内容なのだが、取り上げられていた人は、源義経、楠木正成、織田信長、シーボルト、緒方洪庵、新選組、坂本竜馬、大村益次郎などなど…。それから、関が原、朱印船、蝦夷地開拓史…。

 2年とちょっと前に、必死で受験のために暗記した見覚えの名前が列挙されている。しかし、この本を読んで感じたのは、2年前に頭に叩き込んだ人物たちとの久しぶりの再会というようなあたたかいものではなく、大きなショックだった。いかに自分が日本史の内面を見てこようとしなかったかということ。ひとりの人についてでも、こんな人柄で、彼が何を志して動き、そしてその当時の時流にどのように左右されたか、最終的に彼はそれを成し遂げたのか、それとも、彼が本当にやりたかったことはわたしたちが知っている歴史とは違うことだったのか?そのとき日本は??

 なにより「日本」というものの本質をこの本の中から垣間見たことがとても大きな衝撃だと思う。内容は略すが、自分の国である「日本」という国の大きな流れ、それを全然理解していなかった。今の日本に至るまでの時間の中で、そこに生きた人たちの中から日本という国がどのような考えを持って、そしてその考えがどう変化して、ここまで来たかということがなんとなくわかるような気がしたのだ。これは、日本人であるわたしという存在を改めて考えるきっかけになった。

 わたしは日本の歴史というものをある程度わかったつもりになっていたけど、ほとんどわかっていなかった。わかったつもりになっているというのは、わからないということがわかっているよりもっと性質が悪いなぁと感じた。なぜなら、わかっていると勘違いしていると、もっとわかりたいという気持ちがなかなか起こらないからだ。見たい、さわりたい、知りたい、会いたい、話したい、理解したい、このような欲望がわたしたちが生きていく上ではとても大事だと思うし、それを支えているのが、「!」と「?」の気持ちだと思う。その気持ちにもっと敏感になって、ものの本質を自分の目で確かめたい、そうゆう欲求を常に持っていられる人でありたい。そう強く思った本でした。



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